稽古で学習した体験談
体験談
※ ここでは、半紙や半切(条幅)の揮毫時に体験した事を正直に追加記述していきます。
※ 揮毫時の体調や、温度、湿度にも影響されるようなので考慮し読んで下さい。
手本なしで字を書く為のご参考(体験談)
- 書く為の詩文を決める。
- 書体を決める。
- 字典等を活用し骨字を作り字の形を確実に把握する。
- 書く紙を決める。
- 字の配列を決める。
- 字の数により、使用する筆が決まる。
- 書いてみて、修正したい部分があったら自分の作品を自分で添削します。その為、自分用の朱墨が必要です。
- 書いてみて、紙面の裏側から見ると、配列の良し悪しが解かる場合多くあります。
- 裏面からの自己添削も有効です。
- 書き終えたら、壁等にぶら下げて数日間見続ける事により、新たな欠点が見える事も多くあります。
- 「一歩づつ、一歩づつ」、紙一枚一枚の積み重ねで作品は出来るものと思います。
筆の流れと呼吸(体験談)
- 筆が紙面に接している時は息を吐きます。
- 筆が紙面から離れ、空中を走っている時は息を吸います。
- 息を強く吐くと強い線が、弱ければ弱い線が現れます。
- 息を止めて筆を進めると、体の動きも止まります。
- 体に力を入れると手の動きが鈍りますので本来の力は出ません。
- ある程度の息を吸っていないと力は出ません。
- まだまだあると思います・・・・・
書く時に、体が硬くなっていた時の対応(体験談)
向上心は必要ですが、以下の様な状況下に「心」や、「体」が陥っていませんか?
- 綺麗な字、褒められる字、自慢できる字を書きたいと思う心が強い。
- 稽古事で一般的に使われているかもしれない「力を抜け」、とか「脱力」又は「平常心」等の言葉に気を取られてる。
上記の対応
- 例えば、字を書く為の自分に力を「 10 」として、上記の気づかいに「 7 」の力を使った場合、書を書く力は「 3 」の力しか出せません。
- 自分を「信用し」、「認め」、そして「素直に頑張り」、そして「頑張り通した自分」がいた事に心から「自分を褒めてください。」
- 心も体も「柔らかく」、「柔らかく」、そして「喜びの心」が良いかもしれません。
- 書道には、「上手、下手は無い。」、あるのは「好き、嫌い」と思えばいいです。
ご参考:「身内の書いた字はあったかくて微笑ましいですよね。」
筆を変えてみた。その1(体験談)
同じ字を書いてみた。
- 細筆は、こじんまりとしたメリハリのある字になったが墨付けの回数が増した。食い込みの多い紙には向かない。
- 太筆は、細筆と比較し小回りは鈍るが力強く書ける。墨付けの回数も減った。
- 柔らいい毛は、腰つくりが簡単で直筆になりやすく、線が細くとも強い線になり、かつ、やさしさもある。
- 硬い毛の筆は、柔らかい筆と比較すると腰づくりはあまり気にしなくてもある程度の走筆は出来る。そして力強さもある。
- 面相筆の線は強いです。
- まだまだあると思います・・・・・
※ 言葉で表現できませんが、柔らい筆で書いた字はいいですね。
筆を変えてみた。その2(体験談)
同じ字を書いてみた。
- 毛の長い筆は、毛の短い筆と比較すると腰づくりも容易で直筆になりやすく鋭い線が出やすい。
- 毛の短い筆は、強いて言うならば、筆管が垂直でない場合は側筆になりやすく、線の幅は広くなるが鋭さは長い毛の筆程ではない。
- 毛の短い筆は、毛の部分に溜まる墨の量が少ないので、長い毛の筆と比較すると墨付けの回数が増す。
- まだまだあると思います・・・・・
筆の持ち方を変えてみた。(体験談)
- 縦画が真直ぐになった。
- 縦画が真直ぐにならない。
- 肩がこるようになった。
- 身体に無理はなく、いくらでも字を書き続ける事が出来る。
- 疲れる筆の持ち方はある。疲れない筆の持ち方の方が良い。
- 疲れない筆の持ち方もある。自分にあった持ち方が良い。
- まだまだあると思います・・・・・
書く姿勢を変えてみた。(体験談)
- 縦画が真直ぐになった。
- 縦画が真直ぐにならない。
- 肩がこるようになった。
- 身体に無理はなく、いくらでも字を書き続ける事が出来る。
- 疲れない姿勢はある。疲れない姿勢で字を書いた方が良い。
- 疲れる姿勢もある。度を超えた前かがみはすすめられません。疲れない姿勢で字を書いた方が良い。
- 上半身だけでなく下半身も大切です。特に足の置く位置は留意すべきです。
- まだまだあると思います・・・・・
机の高さを高くしてみた。(体験談)
- 大きな字は書きにくくなった。
- 小さな字は書きやすくなった。
- 筆の持ち方が変わった。
- まだまだあると思います・・・・・
椅子の高さを低くした。(体験談)
- 大きな字は書きにくくなった。
- 小さな字は書きやすくなった。
- 筆の持ち方が変わった。
- まだまだあると思います・・・・・
机の高さを低くしてみた。(体験談)
- 大きな字は書きやすくなった。
- 小さな字は書きにくくなった。
- 筆の持ち方が変わった。
- まだまだあると思います・・・・・
椅子の高さを高くした。(体験談)
- 大きな字は書きやすくなった。
- 小さな字は書きにくくなった。
- 筆の持ち方が変わった。
- まだまだあると思います・・・・・
※ 机の適切な高さは、概ね臍の辺りから鳩尾(みぞおち)の間が良いと思います。机の高さには十分な配慮が必要です。
紙を変えてみた。(体験談)
- 滲む。(紙の裏面まで墨が入り込んでいる事を「くい込み」と言うようです。)
- 滲みが無い。(紙面を表面加工している場合は滲みが少ないか、全くない移場合もあり紙面に墨が溜まる事もあります。)
- 筆の走りが明確に出た。
- カスレが出てカッコよく書けた。
- カスレは、紙のフサフサの部分にしか墨が付いていないので、フサフサ部分が何らかの物理的な力がかかり、紙面からはがれるとカスレとして現れていた部分が無くなってしまうようです。大切な作品でしたら額装しての保管が安心かもしれませんネ。
- まだまだあると思います・・・・・
墨の濃さを変えてみた。(体験談)
- 墨の伸びが良い。
- 墨の伸びが悪くかすれる。
- 薄くて・・・・
- 濃墨で黒すぎは力強く感じる。隷書や楷書に向いていると思います。
- 淡い墨色?なんとも言えない良さがありいいですね。
- まだまだあると思います・・・・・
墨を磨った後の時間経過で墨は変わる。(体験談)
- 磨った直後の墨は伸びが良い。
- 磨ってからある程度の時間が経過した墨は安定しているように感じます。例えば磨墨後、5時間程墨を寝かしておいてから字を書いてみる。
- 「磨った墨は宵越しするな、墨が腐れる。」と聞いた事があります。宿墨と言うようです。
- 書き終わったら、硯は必ず水洗いしましょう。
- まだまだあると思います・・・・・
筆に墨を付ける前に筆を水洗いした場合と水洗いしなかった場合の違い。(体験談)
- 筆に墨を付ける前に筆を水洗いすると、筆を使い終わった後の筆洗いが楽になります。
- 筆に墨を付ける前に筆を水洗いしなかった場合は、筆を使い終わった後の筆洗いに多くの時間を要します。また、毛の付け根部分に墨が残りやすくなります。
- 毛の付け根部分に墨を残すような状態を繰り返すと、やがては筆の割れが生じて送筆に支障をきたします。
- 筆に墨を付ける前に、毛の部分には十分に水を吸わせ、その後書き損じた半紙等で水分を取り除き墨を付けます。
- まだまだあると思います・・・・・
筆に墨を付け直ぐに字を書いた時、又は少し時間をおいてから字を書いた時(体験談)
- 筆に墨を付ける前に、筆を水洗いするといいです。
- 墨付け直後で字は普通に書けますが、ある程度墨付けした筆をそのままにしておき、墨を安定させてから字を書くと良い墨色になる感じを受けます。
- 筆に墨を付けた後、書き損じた半紙等で余分な墨を拭い取り、再度軽く墨付けを行い字を書いて行きます。
- まだまだあると思います・・・・・
墨継ぎについて(体験談)
墨継ぎの理解は難しいです。
- 例えば、条幅(半切)作品書く時に、本文が二行や三行になる事は多くあります。
- 例えば、三行になった場合はどこかで墨継ぎしなければ最後までは書ききれません。必要に応じて墨継ぎをしますが、その墨継ぎ位置が良い印象を与えるようにしなければなりません。
- 例えば、一行目の三番目の字で墨継ぎをしたとします。二行目も、三行目も三番目の字で墨継ぎをしたとすると、墨継ぎによる墨色の濃さが横一線に並んでしまいます。この状態を好ましいとしていないのです。
- 「墨継ぎの位置が横一線にならないように散らばしましょう。」という事です。
- 墨場必携の揮毫事例や、書道展で陳列されている作品で、墨継ぎを見ることが出来ます。
- 文の継ぎ目を意識しての墨継ぎと、字の形に重きを置いての墨継ぎがされていると思います。
- 墨継の位置を無視することは出来ませんが、意識すると不自然さが出てきて私は好きでありません。
- 書いていて、筆に付いている墨が無くなったら素直に墨継ぎするのも自然でいいかもしれませんね。
- 形にはめられた墨継ぎをするよりも、自然な流れの墨継ぎで好感の持てる作品を書きたいものですね。
- 試してみたは如何でしょうか? 墨継ぎの位置を考えずに三行か四行の作品を書いて、墨継ぎの位置が横一線に並べるのはかなり難しいのではないでしょうか?
思い付き
「独学には限度がある。」と言われるが?
○○○道の師匠であった渡辺先生は、「自分で限度を作るな。」といつも言っていた。書道も同じと思う。
- ○○○道で教えて頂いた事は、書道の稽古の様々に応用が出来ています。
- 特に「限度」と言う言葉に対してはあらゆる面で気になる言葉です。
- 限度って何? 限度は誰が決めるの?
- 力量的に限度と感じても心にはゆとりがあるはずです。
- 心を鍛えてから、また力の限度に向かって行けば道は開くはずです。
- 人の力を借りて延びるも良し。
- 書技量に長けている人の技量は後世の為にも伝達すべきものです。
- 一人でせっせと努力を積み重ね、たとえ目に見える進歩や向上が全く表面化しなくとも、重ねた努力には何らかの進歩や向上があるはずです。今の努力が砂地を歩むかのように空回りばかりが目立つ事もあるでしょう。でも、でも、これでもか、これでもかと努力を重ねれば、砂もやがては土と成り前進向上は期待できるはずです。
- 書道技術の進歩や向上に「書技術の比較」は必要な事とですが、独学されている方にとって大切な事は自分に負けない事です。マイペースが強いです。マイペースは長続きします。
- 今は、身の周りに多くの参考資料があります。書道の稽古は一人でもできます。
- 書道の向上心が強ければ強いほど、日常の生活や普段の会話の中にでも勉強になる事は多くあるはずです。
- 常に不足を感じておれば、チョットしたことが不足部分を補う力になるはずです。
ご自宅で書を稽古されている方にお伝え致します。
ご自宅での稽古は大きな喜びです。一人でも十分な稽古ができます。
- 少しの筆使いと少しの知識があれば字は書けます。
- 少しの筆使いと少しの知識の習得は必須です。習得して下さい。
- 今はyoutube等の投稿動画もあります。書道の稽古にはyoutube等は有効と思います。
- 誤字を避けるため、漢字と仮名の字典は必要です。この他に、筆順字体字典もお薦めです。
- 上記の四項目で上達は十分に期待できると信じます。
- 私は、書熟の先生から手ほどきを受けましたが、先生からいただいた手本の「字の形」にする為に考え込み試行錯誤で筆を走らせた記憶が多くあります。籠字の稽古が有効でした。
- 結論:習った事より、自分で頑張って得た技術が体に多く残っています。
- yotube等に多くの投稿動画がありますので見て下さい。書店には、稽古に関する本も多く販売されています。
- 書を書く気持ちが強ければ強いほど、あなたの周りには沢山の書に関する資料は多くあるはずです。
- 弱ければ見逃しているでしょう。
- 手を取り、足取りのご指導を受けるだけが書道の稽古ではありません。書は技術です。自分自身で身に付ける技です。
- 一生懸命頑張って書いた作品を家に飾ったら、身内や親戚や来訪された方々に喜ばれると思います。また、お話にもきっと花が咲く事と思います。
- 昔の奉公人は手に技術を習得するために、その家に住み込み、ただで働いたそうです。教えてもらう事もなく、師匠のお手伝いをしながら師匠の仕事ぶりを見て技術を習得したと聞いた事あります。奉公年数は様々でしょうが、三年とか五年程度と思います。習わず見て覚えたんでしょう。その後は、自立し自分自身の力で腕を磨き、そして立派な職人になった事と思います。先人は凄い。日本人を感じます。
「月謝を払って」書を習った方が良いのか?それとも、「ただ」で習った方が良いのか?
- 月謝を払って書を習う時は、月謝代金等や習いたい先生を選んで決めると思います。
- 月謝を払って書を習う場合は、それなりに強い心を持っているでしょうから稽古の継続期間はそれりに長いと思います。数十年も習っている方もいるようです。
- お金はかかりますが、月謝を払って書を習った方が良いと思います。
- 月謝等を請求しない指導者は、自分自身の技量を判断しての事かもしれないし、習う側から見ても「習って大丈夫なのかな?」の疑問が生じても不思議な事ではありません。
- 月謝を必要としない書の稽古は、習う側からすると始めるのも簡単、止めるのも簡単ですが、理由なく直ぐに止めるのは指導者に対して失礼な事になると思います。慎重にしなければなりません。
- 月謝なしの指導者でも、立派な場合もあるかもしれませんね。探してみは如何でしょうか?
「臨書」の目的は?
臨書は大切と耳にもするし、書の稽古書でも多く目にするが?
- 書の稽古に臨書は必要です。
- 臨書は様々な事を教えてくれます。
- 様々な古典を臨書し、自分い合った古典に巡り合えたらいいですね。探せば必ずあると思います。
- しかし、臨書は真似事です。
- 手本そっくり書けるのも書く力に間違いはありませんが真似事は真似事で本物ではありません。影です。
- ある一つの同じ古典を使って臨書しても、万人が同じ字になる事はあり得ないはずです。
- 手本の字と同じ形に成るまで頑張り続けるとすればそれ大変な事と思います。そこに喜びがあればよいのですが?
- 同じ手本で稽古しても、それぞれの人の生い立ち、筋肉、呼吸、性格、墨や筆、紙等、あらゆるものが異なります。同じに成るはずがありません。
- 臨書は大切ですが、そっくりが良いと思う心は持ちたくありません。
- 字の形、筆の動き、呼吸等、様々な特徴等を感じ取り、自分の書作活動に活かす為の臨書が良いと思います。
- 臨書で得た書技術が応用され、繰り返し繰り返し稽古する事で本物の自分の字が出来るものと思います。
書の喜び?
- 素直に、「字を覚えた。」、「筆使いが上手くなった。」、「字がきれいになった。」等は書の稽古の喜びと思います。
- 「書道月刊誌課題の提出や、昇級試験で昇級した。」も大きな喜びですね。
- 「書展で入選した。」も大きな喜びですね。
- 「手本そっくりに書く事に専念し、概ね満足できるまで技量が身に付いた。」と感じるようになるまでにはそれなりの試練があったと想像します。その試練があるがゆえに喜びがあるものと思います。
- 試練の大きさは喜びの大きさに比例するとさえ思います。
- 字典類、墨場必携、詩句集等を片手にし、試行錯誤を重ねて完成させる自己作品には大きな労力がかかります。やがてその労力には喜びが待っています。
- 書には喜びだらけです。喜びしかありません。
- 「喜び師範越え」の級位があったらいいですね。審査出来る人はいないでしょう。神様が決めます。
- 長い年月を続けて書ける書道は本物かもしれませんね。
- 喜びは長続きしますが、無理は長続きしません。
何故、書道の稽古は続けられるのか?
- 書は、書いても書いても次から次へと何かが出てきてまた筆を持ってしまう。「海の波」のように限りがありません。
- 感激と落胆の繰り返し、試練と喜びの繰り返し、海の波と同じで動いています。生き物です。
- 波は不思議です。
- 同じ事を繰り返し繰り返すが、同じものは何一つと無い。
- 意識せずとも知らず知らずのうちに書き続けるから、書道と言うようになったかもしれませんね。
- 書に限らず、○○道と称するものの全てにおいて同じなのかなと思ったりもします。
- まだまだあるかもしれませんね。
書の稽古の到達点はあるのか?
下記の事も考えられますが?。
- 自分流の字の形が定まった。
- 書いても書いても同じ形の字にしかならない状態になった。
- 書道稽古が卒業して筆を持つ事を完全にやめてしまった。
結論:書の稽古の到達点は無いと思います。